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ワシダアキ

2010年8月31日 (火)

瀬戸内国際芸術祭ー観光資源としてのアート

こんにちは。ワシダです。

からプロは8/27-29に現在開催中の瀬戸内国際芸術祭に行ってまいりました!

P1040381
↑なぜかスゥドーホーの作品の中で地元テレビの取材を受ける唐澤の図


個々の作品については、唐澤からも紹介があると思いますので、私からは割愛します。私からは「観光資源としてのアート」について考えてみたいと思います。

「地域をアートで盛り上げよう!」といった取り組みは、大小様々に行われています。その中でももっとも規模が大きく、話題性も大きいものが『瀬戸内国際芸術祭』です。しかし、こうした地域振興アートイベントには批判の声が大きいのも実情です。

・・・越後妻有アートトリエンナーレで感じた違和感

例えば、私達が昨年訪れた『越後妻有アートトリエンナーレ』では、「第4回を迎えたにもかかわらず、未だに地元の住民の中には、歓迎しない人も多い」との話を伺いました。確かに里山にぽつんぽつんと配されたアートはどこか取って付けたような印象があり、なぜここでアートイベントをやらなければならないのか?という疑問が、つねに私の頭の上を浮遊していました。
それでも、『越後妻有アートトリエンナーレ』を通じて、美しい里山の風景を知ることが出来ましたし、美味しい山と川の味覚に舌鼓を打つことが出来ました。奇抜な現代アートを楽しそうに紹介する村のおじいちゃんおばあちゃんとの交流はとても暖かいものがありました。確かに、『越後妻有アートトリエンナーレ』は越後妻有の魅力の多くを私に教えてくれましたし、またそのように計画され、上手くそれ形にしていました。その点には私も多いに感心し、学ぶところがありました。
しかし、そもそも「なぜ、越後妻有の魅力を伝えなければならないのか?」
「なぜ、観光客を増やさなければならないのか?」「なぜ、住民を増やさなければならないのか?」「そして、それはなぜアートなのか?」という根本的な問いかけへの答えが、少なくとも私には見えてこなかったのです。それは、なんだかとても釈然としない気分を私に与えたのでした。

・・・瀬戸内国際芸術祭ー副菜としてのアート

越後妻有で私が感じた違和感は今回の瀬戸内で確信めいたものへと変化しました。
すなわち、「観光資源としてのアートは副菜であり、メインディッシュにはなり得ない」ということです。
アートはあくまでも付加価値であり、アート以外にメインとなる観光資源の存在が不可欠なのです。そして、観光資源としてアートを活用しようと考える時には、それ以前にメインディッシュたりうる観光資源がそれ単体でも十分な集客力があり、それを受け入れるだけのハードソフト両面での設備が整っていることが最低条件なのです。

越後妻有はこの点で違和感を感じるのです。メインディッシュたるべき観光資源、すなわち、温泉とスキーが十分な集客力をもたず、また、受け入れの設備もバブル期のままという状況。その状況へ副菜としてアートを立派に飾り立てたところで、それは取って付けたようにしか見えないのです。それも、夏場にこの地域を見たところで、メインディッシュのスキーや温泉の魅力は伝わりません。

・・・瀬戸内国際芸術祭の場合

対して、瀬戸内国際芸術祭ではもともとある観光資源を活かしながら、更なる付加価値としてアートを取り入れています。瀬戸内といえば、もちろん海。海水浴にクルージング、新鮮な海の幸とその魅力は海を通じて一貫しています。そこへ新たな魅力として瀬戸内国際芸術祭をスタートさせることで、話題性を産み出し、新たな顧客を創造します。もともと、観光地として整備されているため、ハード面での取って付けたような印象はあまりありません。
また、メイン会場でもある直島はアートの島として知られ、1992年にはベネッセミュージアム、2004年には地中美術館、そして今年2010年には李禹煥美術館が開館しています。直島の美術館は宿泊施設に併設されており、海でのリゾートをメインに、副菜としてアートを楽しむというシステムがすでにこの島内で出来上がっています。

これだけのお膳立ての上で今回の芸術祭は始まりました。

TVや雑誌がこぞってこの芸術祭をとりあげたのは、まさにこの芸術祭が夏のリゾートであり、『海だけでなくアートまで楽しめちゃう今年注目のスポット』だったからです。海がなければこの芸術祭は成り立たない。アートがどんなに美しくても、海が汚ければ芸術祭は成り立たちません。でも、海がきれいであれば、アートの質はあまり問題にならない。(もちろん、そこで質の高いアートをみせることには意味はありますが、それはあくまでも藝術愛好家の意見です。)アートはあくまでもメインを引き立てる副菜なのです。

※例外はあります。例えばパリ。芸術が観光のメインディッシュになることも確かにあるのです。しかし、日本にそういった場所はあったでしょうか?京都とかでしょうか?いづれにしても日本では極めて例外的でしょう。

・・・観光資源としてのアート

もういちどくり返しましょう。

「観光資源としてのアートは副菜であり、メインディッシュにはなり得ない」

ある土地でアートイベントをやろうと考える場合、まずはその土地の元来の観光資源を学ぶこと。もしもその観光資源が活かしきれていないと考えるならば、それをアートで補おうと考えてはいけない。それはせいぜい一過性のブームを起こすだけだから。私達がまずしなければならないのは、土地元来の観光資源を復興すること。
アートはそのあとの話。
メインディッシュが整えば、副菜もどう調理するかが自ずと決まってくるはずです。
そうしたら、十分に”お膳立て”をして、アートをのせることができるのです。

アートは付加価値。

・・・アートを目的にしてはいけない

したがって、アートを目的にしてはうまくいかないはずなのです。
「芸術祭を通じてアートに親しみを持ってもらいたい」とか、
「芸術祭から日本のアートを海外へ発信する」、「新しいアートの歴史を生む」というのは、
アートイベントの目的にはなり得ない。
だから、「芸術祭は本質的なアートの意味をはき違えている」などの批判は、それこそ「観光資源としてのアートをはき違えている」といえるでしょう。
目的は観光。それが嫌だというなら、観光資源としてアートは利用できないでしょう。

これは、おそらく観光に限ったことではないとおもいます。

○○○×アート という形で何かにアートを取り入れようとする場合、
常にアートは目的にはならない。他の目標のためにアートを利用するに過ぎないのです。

アートにはきちんと、アートの目的を果たすための場所があります。ね。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

とにはかくには。

瀬戸内はとても良いところでした。海は穏やかで、景色は明るい。来年は水着をもって、直島に泊まってみたいと思いました。一日目は海水浴、二日目はアートかな。
今回はちょっと詰め込みで大変だったので、今度はゆっくり行きたいと思います。

最後に瀬戸内国際芸術祭でのオススメ作品&スポットを紹介して
今日はおわりにしましょう。

○クリスチャン・ボルタンスキー(豊島)
P1040438

○精錬所(犬島)
P1040432

○男木島
P1040347

○李禹煥美術館(直島)
P1040277

2010.8.31
ワシダ

今回は少し長くなってしまいました。
自分で気がついたことをつらつら書いてしまいました。多々読みにくくてすみません。
言葉足らずなので、もし疑問やご意見ございましたら、メールでもツイッターでもぶつけてください。

2010年8月19日 (木)

人はなぜアートをみるのか?

ワシダです。暑いですね。
こんな暑い夏は円山応挙がオススメです。

幽霊画でも知られる応挙ですが、山水もまた、まことにすずやかです。なかでも私が好きなのは氷図屏風

Photo_2

氷上に走る亀裂を締まりのある線描で描いた本作は、透き通るような空気と静けさをたたえています。みるだけで、心までキリッと涼しくなる気がしませんか?

そう、藝術とは新世代の冷房装置!人は涼しくなるためにアートをみるのです!

というのは、嘘で。やっぱりクーラーつけなきゃやってられません。
良いと思います。文明。

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タイトルの「人はなぜアートをみるのか?」という問いは最近とある方からされた質問です。

冷静に考えると鬼のような質問です。私にとっては「お前はなぜ生きているのか?」と同等です。もしも、質問者が美術関係者だったら、確実に一悶着ありそうなところです。

が、幸いにも質問者は美術関係者ではなかったので、(もちろん、その方に悪気は全くなく、私も特に不愉快に思った訳ではないですし)逆に冷静に、真面目に考えました。

考えてみれば、そんな当たり前のことも、上手く応えられないんですね。ちょっと情けなくなりましたね。

一つの業界にいると考えが凝り固まって、基本的な事を考えなくなってしまいます。特に美術業界は歴史がある割にコミュニティが狭いので、小さな世界に落ち込みやすいです。外の方との出会いは、新鮮な問いかけを与えてくれるものです。

感謝感謝。

からプロでは「社会とアート」をつなげよう!などとよく言っていました。今も私は日本の「アートインダストリー」を社会に機能させる事を目標にしています。(アート・インダストリーって?というかたは、 辛美沙著『アート・インダストリー』美学出版2008 を 是非!お読みください)

しかし、そのために必要な事は、アートファンを増やすことじゃないんです。

そういうの(アートプロジェクトとか、アートイベントとか)も良いけど、それは一過性で、本質的ではない。たぶんやっている当人もそれが本質的でないことに薄々気がついている。

じゃぁどうしたらいいの?

たぶん。たぶんですよ。

「問題意識を共有する事」

じゃないかなぁと思うのです。
美術関係者と美術関係者でない人が互いの問題を共有し、その課題解決の手段として芸術が活用されれば、文字通りwin-winです。いや、niko-nikoです。

だからこそ美術関係者は今こそ社会と対話しなければならないのです。内輪喧嘩している場合じゃないのです。
(なんか幕末っぽいぞ!)

はっきり言いましょう。
『漫画はアートか否か?』なんて問題は内輪揉めに過ぎません。「こんまい話」です。「どーでもいー話」です。「どげんかせんといかん」問題は他にあるのです。

いざ!

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ここまで読んで、かつての私を知っている方は憤慨されるかもしれません。私はちょっと前までは「アートファンを増やすためにアートイベントを企画」し、「絵本や漫画もアートである」と論を戦わせていたような人間です。「矛盾している!」といわれても無理もない。スミマセン。

でも、単に考えが変わっただけです。
「じゃぁ今の考えも変わるんじゃないか!?」
はい。多分変わっちゃいます。
「そんなお軽い奴に芸術のこととやかくいわれたくない!」
どっしりと腰を据えて、ズブズブと沼にはまるよりはマシです。

すこし、ギスギスした文章になってしまいました。
このへんでやめておきます。なぷーん。

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さて、『人はなぜアートをみるのか?』

「美」には「良い」という意味があります。また、artの原義は「術」。だから、明治の人は「fine art」を「美術」と訳したのですね。

「美術をみる」ということは「良いことを知る」ということ?真摯な眼差し?対象への優しさ?

暇つぶしに円山応挙の図集を眺めながら考えていました。

私は困ったり、つらかったりすると、だいたい『美術』をみています。それだけで、少し自分の周りの世界が美しく(良く)見えるからです。私が「美術をみる」理由はそんなところにあるのかもしれません。

これはあくまでも『私の』アートを見る理由ですけどね。

私も応挙の眼差しを借り、目の前の問題と真摯に、また丁寧に時間をかけて向き合ってみたいと思いました。

ここまで読んでくださったあなたに質問です。

あなたがアートをみる理由ってなんですか?

ワシダアキ