フォト
無料ブログはココログ

« 人はなぜアートをみるのか? | トップページ | 瀬戸内国際芸術祭ー観光資源としてのアート »

2010年8月21日 (土)

人はなぜアートをみるのか? :唐澤編

好きだからでしょ。
人は、というより、わたしが、美術を。そこに特に根拠はないです。

ワシダの問いかけにわたしなりに答えたいと思います。唐澤です。

美術を見ることは1つの趣味です。
ゲームが好きな人がいて、おしゃれが好きな人がいて、旅行が好きな人がいて。その1つに過ぎないのではないでしょうか?
だから、ゲーム好きな人に「ゲームをやらないなんて人生の損だよ!」と言われても、「わたしはその時間美術館に行ったほうがよっぽど楽しいから。」となってしまう。趣味を強要するのは無駄なことです。

その意味で、美術をこれ以上広める必要は、わたしはないと思う。

でも一方で、それぞれの人の趣味を超えて圧倒的に支持されるものがあったりする。
そういうものにするという方法も、ないではないのかもしれません。例えば、おじさんおばさんの趣味というイメージが強かった山登りが、最近ブームになっています。でもブームはブームなのです。いつか終わります。亡くなるまで人気絶頂だったアイドルがいるでしょうか。だから美術をブームにしてほしくないのです。
最近美術が、ちょっとブームになっている感じがあります。

どうしてもものを作らなくてはならない人がいて、どうしても美術を見ずにはいられない人がいて、それでいいではないですか。

ただ、ゲームやファッションや旅行は需要と供給があれば成り立つけど、美術は十分に需要と供給があっても成り立たないところがあります。そこを、わたしはなんとかしたいです。
なんとかするために、美術を権力や文化的な知性の象徴として利用したいコレクターの手を借りなければならないのなら、それは受け入れていかなければなりませんね。

今度ワシダと大学の友人何人かと瀬戸内国際芸術祭に行ってきます。
どうもイマイチ評判がよくないようですね。。そのネガティブな反応の一部は、方向性が見えないということから来ているようです。
島々を渡る連絡船の間隔は広くて、交通の便が悪い。それでも作品が見たいコア向けの芸術祭を目指しているのかと思えば、商売っ気のあるカフェがオープンしだしたりして。またのんびりと瀬戸内の空気と美術を味わってほしいのかと思いきや、島中人がいっぱいだったり。
わたしは去年直島と犬島を訪れましたが、やはりあれだけ規模が大きくなって、評判も呼ぶようになると、思いがけない要素が出てくるのでしょうね。意図しなかった商売の仕方をする人が加わってきたり。
もしかしたら、そろそろ岐路に立たされているのかもしれません。規模を縮小して人の温度のある芸術祭にするのか、バリバリのアートフルな芸術祭にするのか。でもバリバリにするなら、ヴェネツィアビエンナーレ並みにバリバリにしてほしいですね。
なにはともあれ、自分の目で確かめてみないといけません。楽しみです。卒論で扱っている川俣さんも出しますからね。

今回、ワシダの「人はなぜアートをみるのか?」という問いに対して、わたしは美術という言葉を使ってずっと話をしました。最後にアートフルという言葉も使いましたが。
川俣さんは、明確にではないけれど美術とアートという言葉を使い分けているようです。わたしが好きなのは美術の方です。
それはわりと卒論の核のところでもあります。「言葉にこだわるなんて専門バカだよ」というワシダの声が聞こえてきそうですが、わたしは一度専門バカになってみたいのです。椹木野衣さんもここに来て『反アート入門』という本をお出しになりました。一周して入門に戻ってこれたら、という思いで、卒論に励んでいます。

[唐澤茉也]

« 人はなぜアートをみるのか? | トップページ | 瀬戸内国際芸術祭ー観光資源としてのアート »

唐澤茉也」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人はなぜアートをみるのか? :唐澤編:

« 人はなぜアートをみるのか? | トップページ | 瀬戸内国際芸術祭ー観光資源としてのアート »