フォト
無料ブログはココログ

« 2010年7月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年8月

2010年8月31日 (火)

瀬戸内国際芸術祭ー観光資源としてのアート

こんにちは。ワシダです。

からプロは8/27-29に現在開催中の瀬戸内国際芸術祭に行ってまいりました!

P1040381
↑なぜかスゥドーホーの作品の中で地元テレビの取材を受ける唐澤の図


個々の作品については、唐澤からも紹介があると思いますので、私からは割愛します。私からは「観光資源としてのアート」について考えてみたいと思います。

「地域をアートで盛り上げよう!」といった取り組みは、大小様々に行われています。その中でももっとも規模が大きく、話題性も大きいものが『瀬戸内国際芸術祭』です。しかし、こうした地域振興アートイベントには批判の声が大きいのも実情です。

・・・越後妻有アートトリエンナーレで感じた違和感

例えば、私達が昨年訪れた『越後妻有アートトリエンナーレ』では、「第4回を迎えたにもかかわらず、未だに地元の住民の中には、歓迎しない人も多い」との話を伺いました。確かに里山にぽつんぽつんと配されたアートはどこか取って付けたような印象があり、なぜここでアートイベントをやらなければならないのか?という疑問が、つねに私の頭の上を浮遊していました。
それでも、『越後妻有アートトリエンナーレ』を通じて、美しい里山の風景を知ることが出来ましたし、美味しい山と川の味覚に舌鼓を打つことが出来ました。奇抜な現代アートを楽しそうに紹介する村のおじいちゃんおばあちゃんとの交流はとても暖かいものがありました。確かに、『越後妻有アートトリエンナーレ』は越後妻有の魅力の多くを私に教えてくれましたし、またそのように計画され、上手くそれ形にしていました。その点には私も多いに感心し、学ぶところがありました。
しかし、そもそも「なぜ、越後妻有の魅力を伝えなければならないのか?」
「なぜ、観光客を増やさなければならないのか?」「なぜ、住民を増やさなければならないのか?」「そして、それはなぜアートなのか?」という根本的な問いかけへの答えが、少なくとも私には見えてこなかったのです。それは、なんだかとても釈然としない気分を私に与えたのでした。

・・・瀬戸内国際芸術祭ー副菜としてのアート

越後妻有で私が感じた違和感は今回の瀬戸内で確信めいたものへと変化しました。
すなわち、「観光資源としてのアートは副菜であり、メインディッシュにはなり得ない」ということです。
アートはあくまでも付加価値であり、アート以外にメインとなる観光資源の存在が不可欠なのです。そして、観光資源としてアートを活用しようと考える時には、それ以前にメインディッシュたりうる観光資源がそれ単体でも十分な集客力があり、それを受け入れるだけのハードソフト両面での設備が整っていることが最低条件なのです。

越後妻有はこの点で違和感を感じるのです。メインディッシュたるべき観光資源、すなわち、温泉とスキーが十分な集客力をもたず、また、受け入れの設備もバブル期のままという状況。その状況へ副菜としてアートを立派に飾り立てたところで、それは取って付けたようにしか見えないのです。それも、夏場にこの地域を見たところで、メインディッシュのスキーや温泉の魅力は伝わりません。

・・・瀬戸内国際芸術祭の場合

対して、瀬戸内国際芸術祭ではもともとある観光資源を活かしながら、更なる付加価値としてアートを取り入れています。瀬戸内といえば、もちろん海。海水浴にクルージング、新鮮な海の幸とその魅力は海を通じて一貫しています。そこへ新たな魅力として瀬戸内国際芸術祭をスタートさせることで、話題性を産み出し、新たな顧客を創造します。もともと、観光地として整備されているため、ハード面での取って付けたような印象はあまりありません。
また、メイン会場でもある直島はアートの島として知られ、1992年にはベネッセミュージアム、2004年には地中美術館、そして今年2010年には李禹煥美術館が開館しています。直島の美術館は宿泊施設に併設されており、海でのリゾートをメインに、副菜としてアートを楽しむというシステムがすでにこの島内で出来上がっています。

これだけのお膳立ての上で今回の芸術祭は始まりました。

TVや雑誌がこぞってこの芸術祭をとりあげたのは、まさにこの芸術祭が夏のリゾートであり、『海だけでなくアートまで楽しめちゃう今年注目のスポット』だったからです。海がなければこの芸術祭は成り立たない。アートがどんなに美しくても、海が汚ければ芸術祭は成り立たちません。でも、海がきれいであれば、アートの質はあまり問題にならない。(もちろん、そこで質の高いアートをみせることには意味はありますが、それはあくまでも藝術愛好家の意見です。)アートはあくまでもメインを引き立てる副菜なのです。

※例外はあります。例えばパリ。芸術が観光のメインディッシュになることも確かにあるのです。しかし、日本にそういった場所はあったでしょうか?京都とかでしょうか?いづれにしても日本では極めて例外的でしょう。

・・・観光資源としてのアート

もういちどくり返しましょう。

「観光資源としてのアートは副菜であり、メインディッシュにはなり得ない」

ある土地でアートイベントをやろうと考える場合、まずはその土地の元来の観光資源を学ぶこと。もしもその観光資源が活かしきれていないと考えるならば、それをアートで補おうと考えてはいけない。それはせいぜい一過性のブームを起こすだけだから。私達がまずしなければならないのは、土地元来の観光資源を復興すること。
アートはそのあとの話。
メインディッシュが整えば、副菜もどう調理するかが自ずと決まってくるはずです。
そうしたら、十分に”お膳立て”をして、アートをのせることができるのです。

アートは付加価値。

・・・アートを目的にしてはいけない

したがって、アートを目的にしてはうまくいかないはずなのです。
「芸術祭を通じてアートに親しみを持ってもらいたい」とか、
「芸術祭から日本のアートを海外へ発信する」、「新しいアートの歴史を生む」というのは、
アートイベントの目的にはなり得ない。
だから、「芸術祭は本質的なアートの意味をはき違えている」などの批判は、それこそ「観光資源としてのアートをはき違えている」といえるでしょう。
目的は観光。それが嫌だというなら、観光資源としてアートは利用できないでしょう。

これは、おそらく観光に限ったことではないとおもいます。

○○○×アート という形で何かにアートを取り入れようとする場合、
常にアートは目的にはならない。他の目標のためにアートを利用するに過ぎないのです。

アートにはきちんと、アートの目的を果たすための場所があります。ね。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

とにはかくには。

瀬戸内はとても良いところでした。海は穏やかで、景色は明るい。来年は水着をもって、直島に泊まってみたいと思いました。一日目は海水浴、二日目はアートかな。
今回はちょっと詰め込みで大変だったので、今度はゆっくり行きたいと思います。

最後に瀬戸内国際芸術祭でのオススメ作品&スポットを紹介して
今日はおわりにしましょう。

○クリスチャン・ボルタンスキー(豊島)
P1040438

○精錬所(犬島)
P1040432

○男木島
P1040347

○李禹煥美術館(直島)
P1040277

2010.8.31
ワシダ

今回は少し長くなってしまいました。
自分で気がついたことをつらつら書いてしまいました。多々読みにくくてすみません。
言葉足らずなので、もし疑問やご意見ございましたら、メールでもツイッターでもぶつけてください。

2010年8月21日 (土)

人はなぜアートをみるのか? :唐澤編

好きだからでしょ。
人は、というより、わたしが、美術を。そこに特に根拠はないです。

ワシダの問いかけにわたしなりに答えたいと思います。唐澤です。

美術を見ることは1つの趣味です。
ゲームが好きな人がいて、おしゃれが好きな人がいて、旅行が好きな人がいて。その1つに過ぎないのではないでしょうか?
だから、ゲーム好きな人に「ゲームをやらないなんて人生の損だよ!」と言われても、「わたしはその時間美術館に行ったほうがよっぽど楽しいから。」となってしまう。趣味を強要するのは無駄なことです。

その意味で、美術をこれ以上広める必要は、わたしはないと思う。

でも一方で、それぞれの人の趣味を超えて圧倒的に支持されるものがあったりする。
そういうものにするという方法も、ないではないのかもしれません。例えば、おじさんおばさんの趣味というイメージが強かった山登りが、最近ブームになっています。でもブームはブームなのです。いつか終わります。亡くなるまで人気絶頂だったアイドルがいるでしょうか。だから美術をブームにしてほしくないのです。
最近美術が、ちょっとブームになっている感じがあります。

どうしてもものを作らなくてはならない人がいて、どうしても美術を見ずにはいられない人がいて、それでいいではないですか。

ただ、ゲームやファッションや旅行は需要と供給があれば成り立つけど、美術は十分に需要と供給があっても成り立たないところがあります。そこを、わたしはなんとかしたいです。
なんとかするために、美術を権力や文化的な知性の象徴として利用したいコレクターの手を借りなければならないのなら、それは受け入れていかなければなりませんね。

今度ワシダと大学の友人何人かと瀬戸内国際芸術祭に行ってきます。
どうもイマイチ評判がよくないようですね。。そのネガティブな反応の一部は、方向性が見えないということから来ているようです。
島々を渡る連絡船の間隔は広くて、交通の便が悪い。それでも作品が見たいコア向けの芸術祭を目指しているのかと思えば、商売っ気のあるカフェがオープンしだしたりして。またのんびりと瀬戸内の空気と美術を味わってほしいのかと思いきや、島中人がいっぱいだったり。
わたしは去年直島と犬島を訪れましたが、やはりあれだけ規模が大きくなって、評判も呼ぶようになると、思いがけない要素が出てくるのでしょうね。意図しなかった商売の仕方をする人が加わってきたり。
もしかしたら、そろそろ岐路に立たされているのかもしれません。規模を縮小して人の温度のある芸術祭にするのか、バリバリのアートフルな芸術祭にするのか。でもバリバリにするなら、ヴェネツィアビエンナーレ並みにバリバリにしてほしいですね。
なにはともあれ、自分の目で確かめてみないといけません。楽しみです。卒論で扱っている川俣さんも出しますからね。

今回、ワシダの「人はなぜアートをみるのか?」という問いに対して、わたしは美術という言葉を使ってずっと話をしました。最後にアートフルという言葉も使いましたが。
川俣さんは、明確にではないけれど美術とアートという言葉を使い分けているようです。わたしが好きなのは美術の方です。
それはわりと卒論の核のところでもあります。「言葉にこだわるなんて専門バカだよ」というワシダの声が聞こえてきそうですが、わたしは一度専門バカになってみたいのです。椹木野衣さんもここに来て『反アート入門』という本をお出しになりました。一周して入門に戻ってこれたら、という思いで、卒論に励んでいます。

[唐澤茉也]

2010年8月19日 (木)

人はなぜアートをみるのか?

ワシダです。暑いですね。
こんな暑い夏は円山応挙がオススメです。

幽霊画でも知られる応挙ですが、山水もまた、まことにすずやかです。なかでも私が好きなのは氷図屏風

Photo_2

氷上に走る亀裂を締まりのある線描で描いた本作は、透き通るような空気と静けさをたたえています。みるだけで、心までキリッと涼しくなる気がしませんか?

そう、藝術とは新世代の冷房装置!人は涼しくなるためにアートをみるのです!

というのは、嘘で。やっぱりクーラーつけなきゃやってられません。
良いと思います。文明。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

タイトルの「人はなぜアートをみるのか?」という問いは最近とある方からされた質問です。

冷静に考えると鬼のような質問です。私にとっては「お前はなぜ生きているのか?」と同等です。もしも、質問者が美術関係者だったら、確実に一悶着ありそうなところです。

が、幸いにも質問者は美術関係者ではなかったので、(もちろん、その方に悪気は全くなく、私も特に不愉快に思った訳ではないですし)逆に冷静に、真面目に考えました。

考えてみれば、そんな当たり前のことも、上手く応えられないんですね。ちょっと情けなくなりましたね。

一つの業界にいると考えが凝り固まって、基本的な事を考えなくなってしまいます。特に美術業界は歴史がある割にコミュニティが狭いので、小さな世界に落ち込みやすいです。外の方との出会いは、新鮮な問いかけを与えてくれるものです。

感謝感謝。

からプロでは「社会とアート」をつなげよう!などとよく言っていました。今も私は日本の「アートインダストリー」を社会に機能させる事を目標にしています。(アート・インダストリーって?というかたは、 辛美沙著『アート・インダストリー』美学出版2008 を 是非!お読みください)

しかし、そのために必要な事は、アートファンを増やすことじゃないんです。

そういうの(アートプロジェクトとか、アートイベントとか)も良いけど、それは一過性で、本質的ではない。たぶんやっている当人もそれが本質的でないことに薄々気がついている。

じゃぁどうしたらいいの?

たぶん。たぶんですよ。

「問題意識を共有する事」

じゃないかなぁと思うのです。
美術関係者と美術関係者でない人が互いの問題を共有し、その課題解決の手段として芸術が活用されれば、文字通りwin-winです。いや、niko-nikoです。

だからこそ美術関係者は今こそ社会と対話しなければならないのです。内輪喧嘩している場合じゃないのです。
(なんか幕末っぽいぞ!)

はっきり言いましょう。
『漫画はアートか否か?』なんて問題は内輪揉めに過ぎません。「こんまい話」です。「どーでもいー話」です。「どげんかせんといかん」問題は他にあるのです。

いざ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここまで読んで、かつての私を知っている方は憤慨されるかもしれません。私はちょっと前までは「アートファンを増やすためにアートイベントを企画」し、「絵本や漫画もアートである」と論を戦わせていたような人間です。「矛盾している!」といわれても無理もない。スミマセン。

でも、単に考えが変わっただけです。
「じゃぁ今の考えも変わるんじゃないか!?」
はい。多分変わっちゃいます。
「そんなお軽い奴に芸術のこととやかくいわれたくない!」
どっしりと腰を据えて、ズブズブと沼にはまるよりはマシです。

すこし、ギスギスした文章になってしまいました。
このへんでやめておきます。なぷーん。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、『人はなぜアートをみるのか?』

「美」には「良い」という意味があります。また、artの原義は「術」。だから、明治の人は「fine art」を「美術」と訳したのですね。

「美術をみる」ということは「良いことを知る」ということ?真摯な眼差し?対象への優しさ?

暇つぶしに円山応挙の図集を眺めながら考えていました。

私は困ったり、つらかったりすると、だいたい『美術』をみています。それだけで、少し自分の周りの世界が美しく(良く)見えるからです。私が「美術をみる」理由はそんなところにあるのかもしれません。

これはあくまでも『私の』アートを見る理由ですけどね。

私も応挙の眼差しを借り、目の前の問題と真摯に、また丁寧に時間をかけて向き合ってみたいと思いました。

ここまで読んでくださったあなたに質問です。

あなたがアートをみる理由ってなんですか?

ワシダアキ

2010年8月 6日 (金)

パナソニック教育財団 成果報告会

こんにちは、ワシダです。

昨日8月5日、パナソニック教育財団の成果報告会がありました。

昨年度一年間をかけて、
からくりプロジェクトと吉祥女子高等学校美術科とが、
パナソニック教育財団の助成金を受けて、
協同で展開していたプロジェクトです。

財団とプロジェクトの経緯について
http://karapro.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-5715.html
 
からプロの唐澤、ワシダ、吉祥女子高校の徳山教諭が、
壇上で簡単なプレゼンをさせていただきました。
(三人そろって発表者に回ってしまったため写真はありません;;)

我々の制作した
『制作・鑑賞一体型の鑑賞教育プログラム』は
冊子としてまとめられています。
美術教育関係者のみなさまをはじめ、
多くの方へ鑑賞教育のマニュアルとなるように制作しました。

Photo

無料で配布しておりますので、
ご希望の方はからくりプロジェクトのメールアドレスまでお伝えください。

からプロではこどもどもども、Home、とお世話になっている福本健一郎さんや、
吉祥寺のギャラリーフェイストゥフェイスのご協力をうけ、
長丁場のプロジェクトを終えることが出来ました。

ご協力いただきました関係各位、
積極的に参加してくれた吉祥女子高校の生徒のみなさまに、
そして、このような貴重な機会を与えてくださった徳山先生に
この場をお借りしてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

ワシダアキ

(なお、本プロジェクトを通じて感じたことなどは、また随時書いていきたいと思います。)

2010年8月 5日 (木)

…美術の大衆化?

こんにちは、唐澤です。

近美で行なわれている『建築はどこにあるの?』展に行ってきました。
建築家によるインスタレーションの展覧会で、とても面白かったです。会場入ってすぐの作品が、いいです。空間を扱っている人のものの見方というのは、自分にはないもので、発見がたくさんあります。
今年の展覧会マイ・セレクションのベスト10に入るかもしれません(笑)。ちなみに今のところの受賞候補は他にワタリウムの落合タムの個展、現美のフセイン・チャラヤンです。

この展覧会では写真の撮影が許可されていて、撮った写真をアップするためのサイトもあるそうです。森美のアイウェイウェイの時も同じようなアイデアがありました。i-phoneの勢力を感じます。機会オンチの私にとっては疎外感を感じずにはいられない…
それはさておき、インスタ作品の写真を撮るというのは、作品を理解する手助けとしてとてもいい方法ではないでしょうか。空間の見方・切り取り方を決める、というのが写真だと思うので。
以前美術館の人が言っていましたが、著作権の問題をクリアすれば、作品保護上はフラッシュをたいての撮影でもまず問題ないそうです。ただ撮影許可をすると記念撮影をする人が出るので、流れが滞るのを避けて撮影不可にしているとか。


7月いっぱい唐澤・ワシダは、大学で学芸員免許を取るための実習に出ていました。
御物袋や風呂敷の使い方、掛け軸のかけ方とか巻物の見方、額の掛け方、ライティングの仕方…5日間でみっちりいろんなことを教わりました。

代えのきかない1点ものの美術品を扱うので、注意しなければならないことはたくさんあるし、それだけ神経も磨り減ります。
が、レクチャーに来てくださった五島美術館の学芸員さんや、ライティングの専門業者の人が、プロ意識を持って、しかも「作品をよく見せる」「作品を安全に扱う」というように、全ての動作に根拠があってやっているのが魅力的に感じました。
特にライティングは、作品の見え方をかなり規定します。作品を細部まで見せたいのか、どれかひとつの作品を際立たせるのか、あるいは空間全体の雰囲気を優先するのか。想定するお客さんの身長によっても光は変わります。本当にいろんな条件が絡んでくるので、唯一の正解というのはなくて、どれを優先するか、どれがベターな選択なのかという判断で、とてもおもしろかったです。

実習を終えて、改めて学芸員になりたいと思いました。
飲食のバイトをしていたとき、よく注意されていたのが「声が小さい」それから「仕事が遅い」でした。なので飲食のアルバイターとして最悪なんですけれども(笑)
合わせなくてはいけないと思ってしばらくは頑張ってみたのですが、ある日なんとなく突然、バイトにそんなに頑張るのもおかしいかも、どうしたって向かない仕事もあるかも、と思い、辞めました。自分が普段大事にしているものと、その仕事で求められているものが違いすぎていたように思うのです。学芸員の仕事は、それがすごく近そうな感じがします。もちろんいざ本当に仕事になれば、大変なことはたくさんあるでしょうけれども。
どういう見せ方をして、どういう解説をつければ、より作品の魅力がお客さんに伝わるのかを考える作業は、ぜひやってみたいと思いました。


相模原市民ギャラリーで学生作家の展覧会「いないいないGO!」が始まりました。去年度吉祥女子高校で行なった、パナソニック教育財団助成の鑑賞教育プログラム開発にゲスト講師として入ってくれた、福本健一郎さんが出展しています。
私は先日、福本君の作品設置の手伝いのために行って来ました。国立国際美術館で行っていた「絵画の庭」展のように、個人のブースが連なるような会場構成ですが、それぞれのスペースが広くて、グループ展ではありますが一人一人の作家さんがやりたいことが充分にわかるような展示になっています。
はやぶさのカプセルと合わせて(笑)、相模原まで足を運んでみてください!

「いないいないGO!」
学生企画による学生作家の展覧会
7/31~8/22(水曜日休館) 10:00~19:00(入館は18:30まで)
@相模原市民ギャラリー(JR相模原駅駅ビルNOW 4F)
入場無料


最近思うようになったのですが、作り手が“作り手”だという、ある種の自覚みたいなものを持って作品を作るようになると、その意気込みというのは絶対作品に出てきて、作品が良くなります。でも良くなると、逆に普通の家には飾りにくい雰囲気というのも、同時に出てくる。
私は以前、サラリーマンが普通の家で作品を楽しむようなことが増えたらいいと思っていました。でも、普通の家で楽しめる作品というのは、どこか隙というか、ゆるさがないといけないらしく、それは、作り手が作家意識を持って、プライドをかけて作った作品には出ようがないようなのです。ほんとうにいい作品は、普通の家には置けないのかもしれません。
いえ、これはどんな作品をいいとするかによっても違いますから、正確に言えば、(私が)いいと思う作品は、普通の家には置けない、と言うべきかな。
すごく偉そうでかたい言い方をしてしまえば、今まで自分が目指していたことは大きく見れば「美術の大衆化」ということだったと思うのです。高尚なイメージのある美術を、広く一般の人に楽しんでもらいたい、という。でも、今になって、当の自分が好きな美術というものが、大衆化とは全く逆の方向を示していることがわかってきたのです。
そうなると、美術は広めなければならないのかという話になってきて、とても矛盾します。この前『Home』展に出展してくれた小林裕子さんとご飯を食べていた時にも、この話は出てきました。
ワシダは「よりたくさんの人が楽しめる美術」を目指しているようで、私の中にあるこの矛盾はなく、ここは私とワシダの間でも時々ぶつかる事でもあります。

水戸芸術館でマンガ・アニメの展示が始まります。
マンガやアニメは、まさによりたくさんの人が楽しんでいる美術です。ただ、それらを含めて欧米と比較しながら「日本ではこんなに美術が普及している」というのはルール違反ではないかと思うのです。マンガ・アニメが美術でないといっているのではなく、そこまで拡張して美術を捉えて、日本は美術大国だと言ってしまっては、「美術」がなし崩しになってしまうというか。
私が以前「美術のおもしろさをより多くの人に」と何の疑いもなく思っていたときの美術は、明らかにマンガやアニメを含んでいません。絵本なども含んでいません。こういう言い方はもう古いのかもしれないけど、いわばハイ・アートのことを指して言っていました。
水戸芸術館の展示は、マンガ・アニメを日本美術として捉えることに対して、肯定的なのでしょうか否定的なのでしょうか。とても気になります。見に行きたいです。がしかし交通費も気になります(笑)水戸芸術館…遠いなあ。


唐澤茉也

2010年8月 2日 (月)

からくりプロジェクトは次のステージへ

からくりプロジェクト、ワシダです。

唐澤に引き続きまして、
今後のからくりプロジェクトについてご報告させていただきます。

Photo

前回の記事にもありましたが、
私事で恐縮ですが私も来年の春には社会人になることが決定いたしました。
からくりプロジェクトはもともと

学生主催
のアートプロジェクトとして立ち上がり、
原則ワシダ・唐澤の二名で代表を務めるという形をとってまいりました。
したがって、私が就職する以上、今まで通りに活動を続けていくことはできません。


だからこそ


からくりプロジェクトは次のステージへと躍進します!

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

これまで10回の企画展、3つのイベント、教育プログラムを手掛けてきた我々が、
常に主眼としていたのは「社会とアート」をいかに繋ぐか?
という命題です。
そして、私たちが気がついたことは、「どちらか一方の視点だけでは足りない」
ということでした。

「社会とアート」を考える時、社会の視点とアートの視点と二つの視野から捉えない以上、
本当に価値ある活動は生まれない。
だからこそからくりプロジェクトは、そのふたつのフィールドに根を生やした活動にしたい!

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

フィールド1 芸術

 専門性と幅広い知識を兼ね備えて、未来の芸術史を創っていくアーティスト。
 批評家。ジャーナリスト。キュレーター。etc
 専門知識を共有し、時に激論をかわしながら、真剣に芸術を考える。
 それは、まだ見ぬ未来の世界に私たちを導いてくれる。
 
 →ex10世代の批評家集団の結成??

フィールド2 インダストリー

 今、社会に何が求められているのか。
 真にゆとりある、感性が響きあう暮らしとは?
 各分野のスペシャリストが、それぞれの仕事や立場から芸術を考える。
 単なる市場主義を超えた、新しいアートインダストリーを開花させる。
 
→ex社会人向けのアート勉強会?

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

二つのフィールドで、ワシダ・唐澤はプロフェッショナルになります。(宣言)
何ができるのか?何が生まれるのか?
これからの展開は未知数ですが、どうぞ長い目で見守ってください。


このブログでは、
ワシダ・唐澤の二人が、それぞれの視点で捉えたアートや芸術について、
不定期にお話しさせていただきたいと思います。

今日はちょっと大きなことを言ってしまいました;;
でも、本音はもっと大きなことを考えていたりします。
ひびしょうじんです。

それではまた。

2010.8.2
からくりプロジェクト
ワシダアキ

« 2010年7月 | トップページ | 2010年11月 »